嵐電嵐山線の帷子ノ辻駅と有栖川駅の途中、北側の車窓にコンパクトな杜が見えます。三条通を歩いていても見ることは出来ず、嵐電に乗らないとみる機会は少ない神社です。その名は「神ノ木弁財天」。地元生田口に伝わる不思議な伝承の弁財天を祀る神社です。世の中には経験したことのない人間には理解しがたい摩訶不思議なことが沢山あるようです。
太秦界隈関連施設関連の歴史にも
1・天塚古墳の伯清稲荷では、ある白清稲荷の信者の夢枕に稲荷大神が立たれ、天塚山へ遷すよう宣託があり」
2・「足利義満は夢の中に居士(こじ)の姿をした多聞天(たもんてん)(毘沙門天)と高僧の姿をした地蔵菩薩が現れて、そのお告げで鹿王院を建立した」
3・「源実朝は夢の中で中国律宗の開祖である南山道宣(どうせん)律師が現れて実朝が道宣の再来であると告げられた」
など夢にかかわる逸話が残っております。
不幸にも私は霊感、霊気などを感じ取ることができず、霊魂や霊体のようなものも見たことがありません。パワースポットに行っても何にも感じることができず、いつも残念に思っております。皆さんはいかがですか。
神社の由来他は下記の通りです。一度探してみてください。
[神ノ木弁財天]
「社 格」
「御祭神」 弁財天
「創建年代」 明治二貮年秋
「神事」
「由 来」
去る事三百余年の昔、葛野郡城州生田村の庄屋 海老名庄左衛門が当時比叡山の無動寺の管長より霊験灼カナル木像を授けられ家宝となし神棚に祭祀なし、日々拝礼の誠を尽くす。次代庄左衛門或日弁財天が夢枕に立たれたお姿に目が覚めて神棚の拝み見れば御像の御指が三本折れ損なわれて居り不思議と思い近くの御寺で祓い清めたる後御性念を祓いて貰うべく嵯峨の徳林寺法主に依頼の上中京三条辺りの仏師に修復の依頼するも、余りにも御像の霊験灼かな様子に断られ持ち帰り、今度は太本山天龍寺管長に懇願し御性念を祓っていただき、元の仏師に再び修復を依頼し快く修復された。御像を我が家の神棚の元の位置に祀ったが其ノ後神ノ木に遷座シタキとの夢の告げあり同村の安井仙之助氏の尽力により地主北村利一郎氏のこの私地寄贈により明治二貮年秋 神ノ木弁財天と称し祭祀するところと成る。
昭和45年秋 神ノ木弁財天会 海老名庄左衛門 子孫 海老名正次郎
京都市右京区神ノ木町