はじめに
例えば小学生の頃,家族に連れられて,練習終わりに配られるアイスのために,
何気なく参加していた,盆踊りの練習。
例えば中学生の時,職人さんからお話を聞いたり施設見学をしたりした,課外授業。
私が思い出せる地元の伝統エピソードは恥ずかしながらこんなところです。
ものの数行で,これまで私が伝統や文化に今一つ意識が向いていなかったバレてしまったのではないでしょうか。(怒られそうですが…。)
そんな私が,地元の伝統を振り返るきっかけになり,聞き込んでしまったお話を,紹介したいなと思います。
300年以上続く歴史ある盆踊り
今回お話をお伺いしたのは,「丹波音頭・踊り保存会」の久保義嗣(くぼよしつぐ)さんと,「丹波音頭を踊る会」を立ち上げた,岡本玲女(おかもとれいな)さんと黒川修子(くろかわしゅうこ)さん。
丹波音頭の歴史は,遡ること約300年。
江戸時代に近松門左衛門が集大成した「浄瑠璃」が,時間とともに世間に伝わる中で世俗化し,生活に取り入れられたものが,現在の京北地域にも伝わる「浄瑠璃くずし丹波音頭とその踊り」と言われています。
「浄瑠璃くずしと丹波音頭」は,「さわり」という浄瑠璃の一番良いところ(聞かせどころ)の部分を取り入れ,それに独特の節をつけているところが特徴です。(※1)
1度目の危機
江戸,明治,大正,昭和の始め…と,民衆に楽しまれ続けた丹波音頭。
昔は,田植えや家の棟上げなども住民みんなでやっていたそうで,遊び事もみんなで楽しんでいた時代。
盆踊りは若い男女にとっては青春を謳歌するような,夜通し楽しく踊る場所でした。(※2)
その流れから近代に入り山国,弓削,周山,宇津…それぞれの地域に音頭ができました。
しかし,時は昭和の終わり頃,幅広い種類の娯楽が誕生し,
京北の地にも入ってきたことで音頭も昔ほど盛んではなくなり,徐々に伝え知る人も減っていきました。
そこで結成されたのが「丹波音頭・踊り保存会」です。
保存会の目的は,勿論丹波音頭の普及。平成3年から活動を始め,練習に励み,亀岡市,南丹市,京丹波町等と合同開催する「丹波音頭・踊りフェスティバル(平成16年にスタート)」等で練習の成果を披露しています。
現在は,京北の小中学校で授業も行っているのだとか…。
現代に訪れた1度目の衰退の危機を,保存会によって脱した丹波音頭ですが,
保存会も結成されてから今年で約30年。再び後世に継ぐ人々を探す状況となり,
2度目の衰退の危機を迎えました。
2度目の危機,2つの川
2度目の危機を迎えた丹波音頭を継承するために結成されたのが「丹波音頭を踊る会」であり,この会の立ち上げに関わった人物が,冒頭で紹介した岡本さんと黒川さんです。
「2つの川が合流して1つになったような状況です。」
お二人からこんな言葉をいただきましたが,この2つの川,辿っていくと…とても興味深いお話でした。
1つ目の川 岡本さんside
もともと保存会のメンバーで,毎年のフェスティバルでは輪の中で楽しく踊っていたという岡本さん。
そんな岡本さんが,丹波音頭の未来について考えるきっかけとなったのは,
一昨年の丹波音頭フェスティバルでした。
岡本さん「その年は偶然,京北の丹波音頭をビデオで撮影する係になりました。
音頭を上から撮影できる場所を見つけて,踊りの全体像をそこから撮影していました。」
初めて自分たちの踊りを外から見た岡本さんは…
岡本さん「外から見て気が付きました。京北の踊りはすごいし踊り手も多いのに,
若い人が全然いないんです。
他の地域には若い人もけっこういたんですが…。
ずっと輪の中にいたので全然気付きませんでした。」
ビデオ撮影で気付いた,丹波音頭の未来への危機感。
それから岡本さんは,若い人が音頭に参加してくれる方法を考えていきます。
2つ目の川 黒川さんside
黒川さん「私よりも上の年齢の方たちが踊られている周山音頭があって,
私もいつかはあの踊りをやっていくのかもな~,とぼんやりとは思っていました。」
結婚を機に京北に移り住み,それから長く京北で暮らす黒川さんは,ある日,衝撃的な事実を聞かされます。
黒川さん「『周山音頭,解散したで。』そう言われました。本当にびっくりしちゃって…。」
突如知らされた解散という事実。
「そうなんや,残念やな…。」と自己完結してしまいそうなところでもありますが,
黒川さんはそうではなかったようです。
黒川さん「よくよく話を聞くと,もう踊り手が高齢化し,
後継者もいなかったため解散を決断したとのこと。
解散を決めた人たちが『もう京北にはいらんのや。』と思っていたのなら,
何もしないでおこうと思っていました。
でも,そうじゃなかったんです。本当は残していきたいのにそれができない。
その話を聞いた時,周山音頭が無くなってしまうのは嫌だ,と思いました。」
周山音頭を後世につないでいくために何かできないかと考えた黒川さんは,
いろんな人に声をかけて踊りを練習し,夏祭りで踊らせてもらったそう。
こうしてまた一人,音頭の継承について考える人物が現れたのでした。
2つの川が1つに
黒川さん「偶然,岡本さんに周山音頭の練習に参加している話をする機会がありました。
その時に岡本さんのお話も聞いて…,何とかしないといけないね,って話になりました。」
岡本さんと黒川さんは,音頭継承のために何ができるかを考え,
「丹波音頭を踊る会」を発足することとなりました。
丹波音頭,周山音頭を踊っていた方やそれぞれの知り合いに声をかけ,
10数人で「丹波音頭を踊る会」をスタートしました。
地域の方に声をかけると「自分も踊ってみたいと思っていた。」と,前向きな声も聞けたそう。
今では40人ほどのグループになっていて,月に1回の夜,弓削自治会館で練習をされています。
踊る会立ち上げの目的
私はここまでのお話を聞いて,「保存会とは別に踊る会を立ち上げたのはなぜだろう…。」疑問を持ち,その理由聞いてみました。
答えのヒントは,保存会の皆様の踊りにありました。
岡本さん「保存会の皆さんの踊りは本当に凄いです。
動きが揃っていて,本当にずっと見ていられます。
その一方で,参加する側の人にとっては,
最初からそのようなすごい人たちに混ざって練習することは,
とても敷居の高いことなのかもしれません。」
黒川さん「だから私たちは,まずは音頭を知ってもらう,そして楽しんでもらうといった,
『入口を広げる』役割を担っていこう,そのために保存会の皆さんには先生として,
私たちに踊りを教えてもらう,そういう関係性をつくろうと考えました。」
保存会とは別に,目的を同じくした組織をつくると聞くと,それって上手くいくのかな?
…と思えますが,これを聞いてなるほど納得。
自分たちの役割を認識したうえで,無理に入り込まず,良い距離感で,
保存会の皆さんと関係性が築けたことが良かったな,
と振り返って話されていました。
重なる偶然が発足へ
「私一人だけだったら,この会の発足はきっとできていない。」
お二人とも声を揃えてそう言います。
岡本さん「私が保存会メンバーとして音頭継承について考えた時期と,
黒川さんが周山音頭の解散を機に継承について考えた時期が,ほんと同じタイミングだったんです。
そんなことあるんやなって思うんですけど,音頭の話になったのも偶然で。
今思い返すと,色んな偶然が重なって踊る会は発足することになったんやな,と思います。」
黒川さん「岡本さんが同じ思いを持っていることを知って,
私たちに何ができるかなって話すことができたから,
こうして今踊る会の活動ができているんだと思います。」
お二人が語る,この素敵な巡り合わせによって,「丹波音頭を踊る会」は発足されたのでした。
盛衰の周期
発足までの物語を語る一方で,お二人は自分たちの状況を冷静にも説明されました。
「伝統って20年~30年にかけて盛衰の周期があるんやと思います。」
盛衰の周期とは,衰退の危機を迎える中で伝統を継承しようと立ち上がる人たちが現れ,
その人たちが中心になって盛り上がり,時を経て,また担い手になる人が減ってきて,
少しずつ衰退していく…,その繰り返しだと語っていました。
「1つ前の衰退の危機に直面して頑張った人たちが,いまの保存会で踊っている方々なんです。
次の周期が,たまたま自分たちの代に来たんだな,と思っています。
今は娯楽もたくさんあって,そもそも丹波音頭を知らない人たちもいると思うので,
音頭を知ってもらうために色々とやっています。」
踊る会を発足するまでの道のりは,偶然の積み重ねでしたが,
そもそも衰退の危機に直面した世代にお二人がいたこともまた偶然。
もしかしたらこんな偶然を重ねて,丹波音頭は300年の歴史を刻んできたのかもしれません。
後編に続く…
ここまで簡単な丹波音頭の歴史と,踊る会発足までの物語を紹介しました。
紹介する内容はこれだけではありません。
後編では…
◎踊る会ってどんな風に活動してるの?
◎踊る会メンバーの語る丹波音頭の魅力
◎保存会メンバーが語る熱い思い
以上3本立てでお届けします♪
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参考資料
(※1),(※2)「京北の文化財」第67号(平成30年5月発行)